音楽院教授のブルックナーに授業時間の変更を願い出た若き音楽学講師の話

イード・アードラー(1855~1941)は近代的な学問としての音楽学の「創始者」として知られていますが、若いころにはこんなこともありました。彼はすでにウィーン音楽院にてブルックナー(1824~1896)の音楽理論の授業を受けたこともあったのですが、やがてウィーン大学で学位を得たのち、講師として母校で音楽学の授業を担当するようになります。その授業は金曜日の夕方で、詳しい時間まではわかりませんが、どうやら音楽院におけるブルックナー教授の授業時間(同じ曜日の5時から7時まで)とかち合っていたようでした。これでは自分の受講生が音楽院のブルックナー先生の授業の方に出向いてしまう、と思ったのでしょうか、何とアードラーはブルックナーに授業時間を6時から8時までに変更していただけないかと手紙で願い出たのです。ブルックナーの返事はこうでした。「親愛なるドクターどの! 残念ですが、私にはあなたのご希望に応じるわけにはいきません。学院当局としてもかかる措置は遺憾であるとしています。実は私の受講生には大学教授もおられるのですが、彼もそのようなことには気をつけるようにと言ってくれています。(金曜日は、私は7時までが音楽院での勤務時間なのです。)敬具 アントン・ブルックナー ウィーン、1881年5月19日」

 

さてさて、アードラー講師はこのとき弱冠25歳、ブルックナー教授は56歳でしたから、なんとも勇気あるというか、厚かましいような出来事でもありました。ただ、新しい学問の開拓者はこのぐらいタフでないと、という一例であったとも言えるかもしれませんね。[根岸一美]